大雁塔(長安の大慈恩寺)
経典翻訳数の比較中国には経典を翻訳した主な僧侶は玄奘の他に五人いましたが、その五人の翻訳数の合計は短い経典が多い四五八部一二三八巻で、玄奘の翻訳したのは長い経典の多い七四部一三三五巻なので翻訳量は圧倒的に多いといわれる偉人なのです。
唐朝では、大宗皇帝が健在で、玄奘さまの帰国をたいへん喜び「三蔵」の位を贈りました。
三蔵とは、仏教の経蔵、律蔵、論蔵に精通した名僧に対して皇帝が与えた位のことで、これ以後は玄奘三蔵という呼称が定着しました。
また、皇帝は玄奘さまに大慈恩寺を建設して与えました。
この大慈恩寺が玄奘さまの二〇年あまりに及ぶ経典翻訳や著作の場となりました。
玄奘三蔵が六十四歳で亡くなるまでに翻訳した経典は七十四部、一三三五巻に及びました。
ここで漢語に翻訳された経典が、その後における仏教の世界進出の大きな原動力となったのです。
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