福祉の現場を経て 「児童養護施設での学び(前編)」

らうんじ【岩槻】特別編集ページtamakoti

私が大学生として、福祉系の福祉系の専修コースにいた頃の話です。
実習のため、児童養護施設に行ったりもしました。
親と過ごせないという境遇がどんな影響を子供に与えるのかは厳密には分かりませんが、「遊びに勝手に入るな」と感情的になったり、自分の前で他の人と違うということで「その態度の違いはなんだ」と苛立ったりする場面を見かけました。
「そんなに怒ることなのだろうか」と不思議でした。
腑に落ちないといいますか…。
そこで働いている人がそれら子供に話している様子を見て、なんとなく思うのが、「子供」と思って、軽んじたり侮ったり、管理したり言うことを聞かせようとするのではなく、「その年齢の人」というような、そういう接し方をしていることが印象に残りました。
それから間もなく、偶然にも学童で子どもの権利条約や児童憲章なんかを学んでいくと、その根底にある思想というか、理念というものが見えてくるようになりました。
一方的に裏切られたり、傷つけられたりしたならば「大人なんか信用できない」と思うのだろうし、自分が少しでも損なわれたと思ったら過去の体験(の時に抱いた感情)とリンクして「許せない」と思うのかもしれないし。
そういう場合の大抵の感情は、怒りと恐れ。
そして、彼らに必要なのが、安心と安全。
自分が脅かされない、損なわれないという約束。その中で初めて優しさやその人らしさや良い面を発揮できるものがある。
そう考えると、一見すると難しく思えるかもしれないし、分かりにくい人だと思われるかもしれない。
「そこまでしなければいけないのか」という考えは、おそらく親と分離した環境下にあるという背景を軽く見積もった考えのように感じてしまう、と…。
 ※次回、後編へ続く

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