安政元年(1854年)11月5日、和歌山県で安政南海地震が発生。沿岸の街を津波が襲った。
故郷に帰省していた濱口儀兵衛(ヤマサ醤油当主)は、海水が引き海底が見えてくるのを見て津波が来ることを直感。
自分の田の藁を松明として火をつけ、高台にある神社への避難路を示す明かりとして村人を誘導。
400人の村人の9割以上の命を救った(死者30人)。
津波から命を救えるかは、情報の伝達の速さが関わっているという教訓を残した。
また濱口は震災後の復興のために、被災者用の小屋の建設、農機具・漁業道具等の提供など、復旧作業にも尽力。
将来の津波から村を守るべく、長さ600m、高さ5mの防波堤も建設。
さらに教育の普及にも努め私塾を開設。
この私塾は後に「耐久社」と呼ばれ、現在の耐久中学校となった。
この史実を世界に広めたのが朝ドラで放送中の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)だった。
彼は英語でA Living godを記し、「生き神様」として慕われている濱口儀兵衛を農村の長「浜口五兵衛」として物語にした。
この物語を読んだ和歌山県師範学校の学生中井常蔵(耐久中学校の卒業生)は深く感銘を受け、日本語に翻訳し子ども向けに再構築。
当時の文部省による国語教科書の教材公募に応募した。
この作品はそのまま国語教材として採用され、1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)まで「稲むらの火」と題されて教科書に掲載された。
時は流れ2005年、スマトラ島沖地震の翌年に神戸で開催された世界防災会議で「稲むらの火」が紹介され、各国に知られるところとなり、アジア防災センターではアジア8カ国に用いられることを想定した9カ国語のテキストを配布。
2011年、日本では東日本大震災を教訓とした「津波対策の推進に関する法律」により、11月5日を「津波防災の日」として制定。
さらに2015年12月4日、国連では日本を含む142か国の提案により、この日を「世界津波の日」に制定することが全会一致で決まった。
「稲むらの火」は160年以上にわたって、震災の歴史を人々が語り継ぐ大切さを教えてくれる。
災害の歴史を風化させずに、語り継ぐこと。これが将来にわたる防災につながるのは間違いない。
【さいたま市防災アドバイザー 加倉井誠】
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