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津波に耐えたイルカの壁画(珠洲市飯田港)
正月に能登半島の東端の珠洲市を再訪しました。
現地でお聞きしたみなさんの声をお届けします。
「元旦に雑煮を食べて、そのあとの大地震だ。
避難所の学校に行っても水も食料もない。
そのあとの3日間は何も食わなかった。
3日目にようやく届いた最初の食料が山崎のアンパンだ。
俺は糖尿病だから甘いものを食べちゃいけないんだけど、それしか食う物がないから食べたよ。
その日も翌日も、食べ物は一日にアンパン2個だけ。
そのうちようやくカップ麺が届いた。避難所は暖房もなくて寒いから、温かいカップ麺でみんな喜んだよ。
でも今度はカップ麺ばかりが続くんだ。
下水も壊れて残りの汁は流すなと言われて、みんな汁を残らず飲み干した。
それが何食も続いたんだよ。
そのうち医療支援のチームが来てくれた。
心配していた血糖値は大丈夫だった。
カロリーが全然足りなかったんだね。
でも血圧は爆上がり。
カップ麺の汁を飲み干し続けたのがよくなかった。
俺だけじゃなくて、塩分の過剰摂取で高齢者はみんな危なかった。」
「元旦の晩は車の中で過ごしました。
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海まで続く亀裂
翌日に近くの高校に避難したんです。
たしかに3日間は何も食べ物がなかったですね。
気が張っていたからか、不思議とおなかは減らなかった。
ようやくアンパンが届いた頃には断水でみんな手が汚れていたので、アンパンを袋越しにつまんで食べてましたね。
そのうちに高校から「入試もあるし学校を再開するから出て行ってくれ!」と言われたんです。
次にどこに行けばいいかわからなくて途方にくれていたら、助けてくれたのがピースさんです。(ピースウインズジャパン・1996年創立の国際災害支援NGO)
ピースさんが市役所と交渉して、新しい避難先を見つけてくれたんです。
新しい避難所では、代表者を何名か決めて自治会を立ち上げたんです。
私は女性ですが自治会長になりました。
みんなに信頼してもらえるように、とにかく一人一人に話しかけました。
些細なことで言い合いになったり、被災者同士でいろいろありました。
とにかく根気よくお互いの意見を聞いて、一緒に前を向いていけるよう話し合いましたよ。」
能登では、避難所に食料や水の備蓄がなかったようです。
さいたま市は各避難所の防災倉庫に多少の備蓄はありますが、全住民分はありません。あなたやあなたの自治会の備えは十分ですか?
さいたま市防災アドバイザー 加倉井誠
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