今年2022年2月20日に市民会館いわつきで「岩付城主 太田資正公生誕五百年祭」が行われました。イベントでは、自分の所属する「本格格闘甲冑集団‐式‐」の演武も披露しましたが、その題材にしたのが「加倉畷の戦い」でした。この戦いは、岩槻内に伝わる御話をまとめた『岩槻巷談』に書かれています。太田資正公が岩付城主だった時代に、岩付城へ北条軍が来襲し、加倉にて戦いが行われます。兵数の多い北条軍に対し、岩付側は台地の高低差を利用して戦い、さらには敵を引き込み、伏兵にて攻撃。これらによりみごと、北条軍を撃退したというものです。1年半前「五百年祭」の演武内容を考えたときから、長永は題材にしようと決めていました。岩槻で忘れられてしまった資正公の名が出ているうえ、みごとに我らの岩槻が勝利をおさめているからです。岩付城の築城・落城伝説はよく語られていましたが、「城が使用された」ことや、それこそ「勝った」とするお話は聞くことがありません。これは要点を押さえればアレンジが可能で、演目として学校などでも「使いやすいのでは?」と思いました。
・北条側が岩付より大軍・岩付側が後退する。ピンチになる風でも、相手を引き付けるでも自由・岩付側の伏兵または援軍が現れる。・不利を悟った北条軍が撤退し、岩付勢の勝利
先日の「五百年祭」の演武でも各所をアレンジ。資正公が自ら槍を取っての一騎打ちという見せ方にし、最終的には、敵を台地の起伏内に隠した精鋭『岩付千騎』にて取り囲み、見事追い払ったとしました。ぜひともご活用いただけたらと思います。【本格格闘甲冑集団‐式‐・長永】
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