今回紹介しますのは、以前、「岩槻と真田氏の意外な繋がり」で紹介しました尾ヶ崎新田の「真田の田んぼ」のすぐ近くです。
「真田の田んぼ」の北側に民家が並んでいるその裏手、少し大きめの用水路と各民家群との間にその堀があります。
この堀がなかなかに謎で、色々な用途にも考えられ、明確な答えが出ていません。
この堀は、館の様に一軒の敷地を囲うというものではなく、集落北部を囲う様な感じに掘られています。
この間、堀は家屋の裏手を通ったり、田んぼの裏手を通ったりしています。
写真ではなかなか伝わりませんが、堀はこれで結構に長さがあります。
堀底も歩きにくく、民家敷地内らしき所もありで、後述の研究の先生ご案内の候補からも外れたので、全域までの確認は出来ていません。
また、この堀は、水がある時と無い時があります。
発見後、何年かは田んぼの時期には水が入るものと思っていましたが、今年の春〜夏にいった時は水が無いタイミングも多々ありました。
現在では堀にたまる水は隣接する大きめの用水路壁面からの土管が通り、ある程度たまったら排水される様ですが、これは近代の物で、かつての構造では無い様に見えます。
この堀は、このみやび紙面「風魔(風間)」のお話を受けての当初、自分がかつて発見した周辺の「堀」のご案内三候補の一つでした。
二候補に比べ、可能性が薄い第三候補で、用水関係の可能性も高く思えたので、研究の先生方の案内から外れたままになっていたので、今一度スポットを当ててみたく思います。
後編にて、もう少し詳しく見ていきたいと思います。
【本格格闘甲冑集団-式- 長永】
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