十年ほど前まで、岩槻南部の釣上に、見事な『館』が存在していました。立派な水堀と土塁に囲われていた、いわゆる中世の武士の館だったようです。角田さんの御門とは、実はかつてその館にあった御門だったのです。館の土塁上には生垣と屋敷森があり、北東部は敷地の角が斜めに削ってあり、上には祠が奉ってある様でした。屋敷森から立派な倉ものぞいていました。しかし、その本邸宅は見た事がありません。なぜならその入り口は、立派な御門がそびえ、固く閉ざされていたからです。左右の堀や土塁に、石畳を渡って入るその門前は、威圧感がもの凄く、とても長居は出来ないほどでした。長永の記憶の中ではその御門が館そのものだった様に思います。この通り見事な館でしたが、なんと突如宅地開発計画起こり、何も残さず完全に破壊されてしまったのです。…これで何も残らず全て終わったと思われましたが、実はこの時ある動きがあったのです。当時、角田さんの所に知人より、門などを引き取ってくれないか、との話が来たそうで、実際現地をご覧になり、一発でこの御門の保存を決められたそうです。それからが大変!移設には相当の耐震処置を必要とし、みかげの石畳も同時移設となり、とんでもない費用がかかりました。当然家族も猛反対。それでも諦めず、見事に移設を完了されました。…こうして、角田さんのおかげで、岩槻の貴重な記憶がここに残されました。長永は、この懐かしいい御門の縁で、角田さんとお話して話が盛り上がり、そこから特売日の応援と太田資正公生誕五百年祭のPRをさせていただける事となりました。今後特売日で見かける事がありましたら、ぜひ声を掛けて下さい。
この記事へのコメントはありません。
この記事へのトラックバックはありません。
Δ
まりいの岩槻魅力はっけん伝⑤ 忘れ去られた「太田橋」
おもしろ人物の紹介 ① カナダ人語学教師 クリスティーン・ウォング(Christine Wong)さん
トップページに戻る
移動済み情報記事一覧へ
Copyright © WEB ら・みやび 岩槻 All rights reserved.
この記事へのコメントはありません。