東京都北区を通る御成街道(本郷通り)に西ヶ原一里塚がある。日本橋から二里目だ。両塚が当時の位置にあり、昔の道幅を知ることができる。国指定史跡だ。塚の木は榎(えのき)である。北へ150メートルも歩けば右手に飛鳥山公園。もう少し行けば左手から都電が通りに入り込む。交通量の多い所である。道路拡張の際、一里塚は邪魔ということになったが、地元から一里塚を保存しようという声が挙がった。その中に渋沢栄一もいた。運動の甲斐あって両塚は残されたのだ。一里塚は昔の旅人にとって歩く距離の目安になるものである。西ヶ原一里塚のすぐ先の飛鳥山は江戸時代から桜の名所。四季の景勝地であり歌川広重などが浮世絵に描いた。岩槻本町にあった一里塚は日本橋から九里目。市宿から久保宿に入った旅人には塚の榎が見えてくる。左手の塚の手前から左方向に大龍寺の参道が続く。参道の並木の奥には大龍寺の屋根が見える。街道の先は丁字路で、右に曲がれば時の鐘、岩槻城へ。左は日光へ向かう街道だ。この景観を見事に描いたものが江戸時代の日光道中絵図である。岩槻城の上には大きな朝日。城周辺の松らしき樹木と寺参道の杉らしき樹木が同色で強調され、一里塚の榎が2本一際高い。誇張はあるが、この地は美しく描かれ、街道のハイライトとも言える。まちづくりに生かしたいものだ。区役所跡地の駐車場ゲートの横にある土盛りをコンクリートで固めた部分を使えば一里塚の風情が蘇りそうである。榎を植えればシンボルになるだろう。一案である。尚、日光道中絵図は新編埼玉県史図録( 161 頁)で見られる。(第35回)
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