松尾芭蕉が門人曽良(そら)とともに奥の細道の旅に出発したのは元禄2(1689)年3月27日(旧暦)、江戸から日光街道を北へ向かった。芭蕉は、その日ようやく草加という宿場にたどり着いたと書いているが、実際に泊まったのは春日部とされる。これは曽良の随行日記に27日夜「カスカベニ泊ル」とあることから通説になっている。春日部市内を通る日光街道(国道4号線)の一宮の交差点から、かすかべ大道りに入る。この通りが旧道であり粕壁宿である。入ってすぐ右側に東陽寺がある。本堂の前には曽良の随行日記の一文と師弟の旅姿を刻んだ記念碑が建つ。芭蕉の宿泊先は、この東陽寺、小渕山観音院、名主宅など諸説がある。近くの市教育センター内の郷土資料館に粕壁宿の200分の1の模型や参考資料が展示されている。
日光御成街道を北へ岩槻から日光御成街道を北へ向かう。白岡、宮代、杉戸を通り幸手に入る。圏央道の下を潜って少し行くと左手にスーパーベルクがある。入口前の信号の右手から来る道が御成街道と合流する。これが日光街道の旧道だ。草加、越谷、春日部、杉戸を通り、この地に至るのである。芭蕉と曽良はここを通り過ぎる時、御成街道に目を向けたことだろう。合流地点に案内板がある。(第61回)
風信人の旅 『芭蕉と日光街道』プラス花二題
桜と火の見櫓(右)県道65号に東楽園通りが突き当る所の信号近く。(見沼区大谷のバス停の近く)(第37回)
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