東京スカイツリーラインで都内へ向かう道中、北千住で千代田線に乗り換え千駄木で降りる。台東区の谷中、文京区の根津、千駄木は合わせて「谷根千」と呼ばれる人気のエリアだ。地下鉄の駅を出てから、すぐさま団子坂を上がる。団子坂の上から左に曲がり、少し行くと右手に明治の文豪・森鴎外記念館があった。ここは鴎外が居を構えたところでみずから「観潮楼」と名付けた。当時は、この高台から東京湾が一望できたという。現在は記念館の前に急な階段があり、下へと続く道を挟んで建つビルの間にスカイツリーが見える。絶妙の景観である。記念館をあとにして、そのまま高台の道を南へと向かう。この道は、だんだん下りになり大通りに突き当たる。左に折れれば根津神社の北門。つつじが有名だ。 今回は右に折れ再び坂道を上った。通りの右手は日本歯科大学の建物。上ったら、すぐ右に折れ140メートルほど歩くと左手に「夏目漱石旧居跡」の石碑があった。漱石はここに住んで「吾輩は猫である」「坊っちゃん」などを発表した。この家は漱石が住む前に鴎外が住んだこともあり、旧居は現在、愛知県犬山市の明治村に移築されている。ふたたび大通りに戻る。本郷通までは約200メートル。本郷通りを右に行けば駒込。左に行けば本郷の東京大学はすぐだ。東大の農正門前の道の向こうは、追分一里塚のあったところ。中山道の日本橋から一つ目の一里塚がここだ。江戸から来ると、ここが分かれ道で、左が中山道、直道が岩槻街道(日光御成街道)である。江戸期から続く高崎屋酒店が追分一里塚の跡で説明板が立っている。(第71回)
風信人の旅 『漱石鴎外旧居跡』プラス追分に立って思う
追分以北の本郷通は岩槻街道であり、明治を代表する文豪たちは街道近くに住んでいた。時流にとらわれず、高尚な作風を守った夏目漱石と森鴎外は高踏(こうとう)派と呼ばれた。岩槻に向かう街道の始まりに巨星が輝いているのは喜ばしいことである。街道が分かれるところを示す「追分」の名称は、本郷通りのバス停名に「本郷追分」として残っていた。さて、中山道、岩槻街道、どちらへ行こうか。(第47回)
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