前任者の長谷川司氏にインタビューしたのが令和4年5月、あれから2年経って改めて岩槻区政への取り組みなどについて新区長の小島さんにお話を伺った。
Q:最初に小島区長の行政職の経歴を教えて下さい。
小島区長:昭和63年に岩槻市役所に入庁し、都市計画課に配属後、UR(当時、住都公団)に派遣され鉄道とまちづくりの仕事をしました。
その後、南部地域整備推進室では新和西地区(美園東)の開発に関わり、URや浦和市などと一緒に美園エリアの開発に携わりました。
さいたま市と岩槻市の合併協議時には合併協議会事務局に派遣されています。
その後は、都市計画や地下鉄7号線延伸の検討、交通政策、大宮駅GCS構想など、将来のまちづくりでもある計画や開発に関係した部署を長く経験し、岩槻のコミュニテイバスの休日試行運行などにも関わりました。
令和5年度に、くらし応援室長兼副区長として岩槻区勤務に戻ってきました。
Q:さいたま市との合併前から美園エリアの開発では浦和市と連携していた訳ですね。
合併時に、それまで岩槻市が進めていた都市計画は活かされなかったのでしょうか。
小島区長:3市合併後のさいたま市に編入合併になったので、基本的には岩槻市がさいたま市に合わせる事になったと思います。各部門別に分科会等を作って3,300余りの項目にも及ぶ事務事業の内容を調整して決めてきましたので細部についてまでは把握できておらず、すみません。
Q:さいたま市10区の中での岩槻区の在り方についてどのように思われていますか。
小島区長:私は生まれも育ちも岩槻ですので郷土愛は強いほうだと思います。岩槻は首都圏にありながら城下町、宿場町など歴史も古く、日本を代表する人形産業や神社仏閣、緑豊かな自然も多く残っている特徴のある街だと思います。さいたま市にとっても欠かす事の出来ない市全体に深みや厚み、広がりを与える大切な区だと捉えています。
Q:限られた任期と権限の中で優先して取り組みたい事は何でしょうか。
小島区長:先月に令和6年度の「岩槻区のまちづくり」が出来上がりました。
「岩槻区の将来像」として、~自然と歴史、文化を守り育て、楽しむまち~ を掲げています。さいたま市の副都心のひとつとして、岩槻区が継続している事業や将来に向けての取り組みなどが分かるように記載してあります。安心して心豊かな生活を送ることのできるまちの実現を基本に関係部局と連絡調整しつつ、進めていきます。岩槻区は市民活動団体が多く活発に地域活動をしてもらっています。行政の職員だけではできない事が多いので、各団体や区民の力も借りて皆さんの声を聞きながら岩槻の特色を生かしたまちづくりの実施や事業の継続に努力したいと思っています。
Q:人生訓のようないつも心掛けている事があればお聞かせ下さい。
小島区長:特別なことはないのですが、コミュニケーションを大切にして笑顔を絶やさない様にしようとは努力しています。また家族を大切にすることも大事かと思います。
あとがき:副区長の期間にも何度かお会いしていますが、まだマスク着用の期間だったこともあり、新区長になってから初めて笑顔がトレードマークの小島さんの素顔を拝見できました。
【編集部・奥山】
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