円谷英二を育てた 特撮の草分け・枝正義郎

ウルトラマンなどを撮影した円谷プロダクション創設者・円谷英二が、日本の特殊撮影の元祖と勘違いされることも多い。
じつは、この円谷を育てた映画監督の枝正義郎が、日本の特殊撮影技術の草分けであることは意外と知られていない。
枝正は明治21年に生まれ、昭和19年に亡くなるまで、多くの監督やカメラマンを育てた日本映画初期に欠かせない重要人物である。
代表作である大正6年に撮影された連続活劇『西遊記』では、トリック撮影を多用して世に名前を広げた。
枝正と円谷の出会いは、東京・飛鳥山の花見で偶然出会ったことによる。
一緒に来ていた自社の職工達と隣の席で同じく花見をしていた人たちが大ゲンカ。
仲裁した円谷を、ケンカ相手の枝正義郎がスカウトしたのである。
当時の円谷は、おもちゃ会社で新商品の開発などを行っていた。
その中には現在の証明写真ボックスの元になった自動スピード写真ボックスもある。
そんな円谷が映画業界に入り、特殊撮影の第一人者と呼ばれるようになる。
円谷が手がけた作品はウルトラマンシリーズが有名だが、他にも『透明人間あらわる』や『ひめゆりの塔』、初期のゴジラなどがあることは意外と知られていない。
これらの作品は映画の歴史を語るときに欠かせないものであるが「自分が関わってきた仕事がいつの間にか歴史に残るものになっていた」というのは、考えてみると面白いものだなと思う。
【うえぽん】

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