岩槻観光ボランティアガイド会の紹介で、アフリカのジンバブエ共和国出身・語学教師 のアップルトン・マオヨさん(34才)にお話を伺った。通訳は、岩槻新方須賀生まれの須賀英夫さんにお願いした。マオヨさんの育ったジンバブエは、アフリカ大陸の南部に位置する。面積は日本よりやや大きく、人口は1500万人弱。野生の動物達も暮らす雄大な自然が残る国で、世界文化遺産のグレート・ジンバブエ遺跡、ビクトリアの滝など魅力的な観光資源もたくさんある。かつて16世紀にポルトガルが入植してきたが、強力な軍事力により撃退。周辺諸国のように侵略を受けず19世紀までは自力で領地を守っていたが、やがて、イギリス領植民地になってしまった。その後、第二次世界大戦(1939~1945年)が終わり、脱植民地の意識が高まるにつれて黒人独立運動が激化。1980年4月に国家として再び独立したが、政策が上手く運ばず、イギリスをはじめ世界各国から経済制裁を受けて、ジンバブエの経済は悪化の一途をたどり続けた。日本との関わりを深めたのは1981年。ムガベ大統領(当時)が訪日し、経済復興のための有償・無償の技術協力支援を約束し、今なお現地への経済支援を行っている。各国の大使館がある地域で育ったマオヨさんは、幼い頃、日本人の子どもたちと一緒に遊んでいた。街中では日本製の家電が幅を効かせており、次第に日本への憧れが芽生えていったという。その後、アメリカに留学して帰国。新聞記者として働いていた当時は街中の製品が日本製から中国製に変わっていたことから、経済発展に魅力を感じ中国へ渡った。語学教師として4年間在住したが、子どもの頃の気持ちが忘れられず来日し、東京にある公立中学校で語学教師として4年前から勤務している。通訳の須賀さんは中学校で出会った同僚で、退職後、岩槻でのボランテイア活動を通して外国人向けに岩槻の魅力を伝えている。その繋がりでマオヨさんと知り合った。日本は「居心地がよい」と話すマオヨさん。今でも大切にしているのは、日本語で「他者への思いやり」を表すジンバブエの「ubuntu」という言葉だ。岩槻を訪れた経験は3回。今後は「少なくとも10年間は日本で過ごし、色々な土地を巡ってみたい」と笑顔で答えてくれた。【編集部・奥山】
この記事へのコメントはありません。
この記事へのトラックバックはありません。
Δ
まりいの岩槻魅力はっけん伝 ⑦「『伝令犬』はご存知ですか?」
生活サポートひなまち 廃油で石鹸づくり
トップページに戻る
移動済み情報記事一覧へ
Copyright © WEB ら・みやび 岩槻 All rights reserved.
この記事へのコメントはありません。