史料『岩槻古城八景』は、明治18(1885)年に旧岩槻藩士らによって描かれたものです。明治になり、廃城となった岩槻城の姿を再現し書き記したもので、中国の「瀟湘(しょうしょう)八景」をもとにして描かれた「近江八景」に倣い、「城口晩鐘」、「鵜首夕照」、「米蔵跡落雁」、「高台秋月」、「車橋晴嵐」、「樹木廓夜鵜雨」、「船入口帰帆」、「茶屋台暮雪」の城内にあった8つの景勝地を描いています。この『岩槻古城八景』は複数組残されているようです。博物館にも2種類の「岩槻古城八景」があり、このうちの1組は8枚の絵が2つの屏風に貼られた状態で残っていますが、もう1組は状態が悪く、6枚が残るのみです。これら複数の「岩槻古城八景」を見ていくと、構図はほとんど変わらないものの少しずつ絵のタッチに違いがあり興味深いものがあります。また、「岩槻古城八景」とともにこの経緯を記した「岩槻古城八景歌集」(写本)が博物館には所蔵されています。『岩槻古城八景』の絵を描いた人物は、『岩槻古城八景歌集』によれば「駑楽」ということになっていますが、八景の絵にある落款は「北淵」と読めます。この「北淵」が絵の作者と思われますが、「駑楽」との関係は不明で、今後検討していく課題といえます。昨年、平成29年9月23日~11月5日の期間、博物館に所蔵されていた2種類の「岩槻古城八景」を展示しましたが、資料館では常時これらの写真パネルを展示しています。今後、実際の『岩槻古城八景』をみなさんにご覧いただける機会を作っていきたいと思っています。
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