今回紹介する「イノシシの頭骨」は、平成元年度に行われた、真福寺貝塚C地点の発掘調査の際にみつかったものです。この発掘調査は、遺跡の北側で、個人専用住宅の建設に伴うものでした。調査の結果、縄文時代後期から晩期の住居の跡はその一部分が確認できたものだけですが六基、土坑三基などがみられ、多くの土器や石器、貝や獣骨などがみつかっています。「イノシシの頭骨」は、調査区の南側の第二号土坑内から、炭化材や貝などとともにみつかったものです。こうした「イノシシの頭骨」は、各地の貝塚などからみつかることが多く、さいたま市内でも、浦和区の山崎貝塚、大宮区の側ヶ谷戸貝塚、また南区の太田窪貝塚からもみつかっています。側ヶ谷戸貝塚のイノシシは、三歳前後の大型の個体であったようで、住居跡の中央付近の床面に置かれたような状態でした。アイヌの人たちは、すべてのものは神が姿をかえたものとして、使い終わったものなどを一ヶ所にまとめ、感謝を込めて天に送りかえすことを行っています。遺跡でみつかる「イノシシの頭骨」は、住居跡の床面に置かれるような状態で残っていたり、真福寺貝塚のように炭化材や焼土、灰などとともに特殊な在り方を示していたりすることが多くみられます。イノシシは、シカとともに縄文人にとって狩猟の対象であったといわれ、貴重な資源として再生を願い、アイヌの人々のような儀礼やまつりをおこなったものではないかと考えられています。岩槻郷土資料館には、この「イノシシの頭骨」以外にも、真福寺貝塚C地点の土器などを展示していますので、ご覧いただきたいと思います。
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