小岩からの慈恩 寺道⑫(八潮市古新田)

◎慈恩寺道と中川、常燃寺の万人の塔  
以前、猿が又と呼ばれていた水元付近の地図を見ていた時、対岸の八潮市古新田地区からは、この先大きな川を渡らずに岩槻慈恩寺方面に行け、また中川を挟んで対峙する※大場川水門(大場川)と垳川排水機場(垳川・がけがわ)へは水路に沿って、慈恩寺道が通っていたと仮定して大場川、垳川沿いを調べてみました。
㋑慈恩寺道は当初、利根川本流の土堤(亀有溜井締切堤)の上を通りこの猿が又と 呼ばれる水路が入り組んだ地域を抜けて、八潮市古新田地区に到達しました。
㋺享保一四年(一七二九年)に井沢弥惣兵衛為永が手掛けたとされる小合溜井及び河川の改修工事で亀有溜井締切堤がなくなり新たに造られた小合溜井締切堤、現在の閘門橋付近で上流からの古利根川(中川)の流れを江戸川方向から中川方向に変えました。
人々は水元から此処へは猿が又の渡しを利用して中川を渡るようになりました。
古新田地区から垳川沿いを進むとすぐに、常燃寺に着きます。
お寺に垳の万人の塔が建っています。
この塔は称誉上人が千日廻向の念仏講を行っていた、延宝二年(一六七四年)に造られました。
基壇には、近郷近在の地名と八三〇〇人以上の人々の名前が記されています。
千日廻向とは千日間、不眠不休で一日中念仏を唱えて野山を駈けずりまわる修業です。
                                 古刹の常念寺を後にしてふたたび垳川を進むと葛西用水に突き当たり、交点に慈恩寺への道しるべとなる道標が置かれていました。
㋩大正時代、古新田地区内で大きく迂回した古利根川(中川)を直線にする付け替え工事が行われて、古新田地区の土地が川の両サイドに分断されました。
川上に潮止橋が掛けられて、従来の慈恩寺道の道筋は消えています。
※大場川は三郷市内を流れて水元付近で古利根川(中川)の川址へ流入する河川で、その流末は大場川水門です。
垳川は八潮市垳地区を流れる川で流末は垳川排水機場です。
二つの川はともに同一地点で中川に合流します。
垳は国字としてこの地域のみ使用されている漢字です。
【榎本淳三郎】

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