今回紹介する場所は、新和小学校の近くにある現地の通称・かぶ山です。この場所は、今は亡き恩師と祖父に調べるきっかけをいただいたものになります。夏という、かつての戦争という事を考える時期に差し掛かり、現在を見てもロシアのウクライナ侵攻もいまだ続くところ、書いておくべきかと思った次第です。この記事を書くにあたり申し上げておきますと、私は戦争行為を美化や良い物として扱う意図はございません。ただ、かつての大変な時代の中で、岩槻の方々が作り上げた物があったという事は、伝えていくべきものかと思います。それは私の学生時代の本当に一瞬の一コマの事です。「ここには戦時中に滑走路がありましてな。…この真っ直ぐな道ですな。そして、そこの小山の間をくり抜き、上の木だけ残して戦闘機を隠したのだそうな…」と、大学の行事の旅行にて、旅行バスでたまたまそこを通りかかった際、恩師はバスマイクでその話をされました。 この時の旅行は、バスガイドさんではなく恩師が、様々な場所の事について話される独特なものでした。話の後半の山の間をくり抜いて戦闘機を隠したという話は、かつて祖父より聞いており、「やはりあの話は本当だったのか」と心に残りました。その後、何年かして「論田飛行場」または「末田・新和飛行場」ともいう名称をようやくインターネットで知り、その記事に載っていた航空写真を見ました。「この真っ直ぐな道」と恩師が言われたのは、実は残念ながら滑走路ではありませんでした。しかし、この航空写真の隅には、その記事にも言及されていない物が写っていたのです。…次号へ続く。【本格格闘甲冑集団-式-・長永】
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感覚障害を知る
まりいの岩槻魅力はっけん伝 「一人ひとりのつながりを大切に」
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