◎葛西用水 伊草新橋・拝礼供養塔 観音寺から葛西用水の遊歩道でいくつかの橋を行き過ぎると、伊草新橋があります。ここから桜並木が一、三キロメートル程続いています。水面に桜が映し出されて綺麗です。花見の時期には。多くの人が訪れます。 八潮市と草加市の境にある伊草新橋の橋のたもとに拝礼供養塔が奥州三山や観音霊場への巡拝の道標として建っています。右面 天保十二年(一八四一) まつとへ二り半 市川へ四り (施主名)前面 月山 湯殿山 羽黒山 四國西國秩父坂東拝礼供養塔 天下泰平、國土安寧北 こし可やへ二り 岩つきへ五り… 南 江戸浅草へ三り 左面 成田山 八条へ十八丁…
この拝礼供養塔と同様な道標が江戸川区の小松川橋下を流れる荒川・中川放水路の中土手付近の四股地区に弘化二年(一八四五年)に建てられていました。当時そこへは、小岩・市川の渡し場から始まる浅草観世音道が下小岩村を通って区内を横切る一本道で西小松川村に繋がっていました。村内の四俣地区の十字路に拝礼供養塔が建っていました。右方向に行くと浅草道を通り浅草寺、左方向に行くと行徳道そのまま進むと両国道と記されています。四股に拝礼供養塔が建てられた三〇年後の明治八年(一八七五年)に渡し場から四俣迄の浅草観世音道は千葉街道となりました。奇しくもこの百年前の安永四年(一七七五年)に、坂東道の道しるべとして一対となる慈恩寺道標と浅草観世音道標が小岩市川の渡し場址近くに建てられています。なお大正二年(一九一三年)から昭和六年〔一九三一〕の荒川・中川放水路の開削工事で四股地区が消えています。
また葛西用水を取り囲むこの地域は「武蔵野国三十三観音霊場」として元禄一〇年(一六九七年)吉川市延命寺を一番札所として霊場が開設され、一二年に一度の牛年に御開帳がなされています。ちなみに観音霊場巡りは戦前もブームで京成電鉄による「東(あずま)三三ヶ寺観音霊場」は上野寛永寺清水観音堂が一番札所で、二八番札所は慈恩寺道の出発点である京成江戸川駅近くの宝林寺となっています。 【榎本淳三郎】
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