◎葛西用水・瓦曾根溜井・しるし石慈恩寺道が通る葛西用水の草加市青柳地区は、昭和一二年に久伊豆橋を架け替えた際に、道しるべとして※里程標が橋の脇に建てられました。里程標は一六センチ角の石柱で、長さは一・六メートルです。川柳村役場、小学校に至る約一千米・越ヶ谷町に至る五千米・草加町至る四千米と身近な生活圏が表記されています。この頃は尺貫法とメートル法の移行期間で明治一八年(一八八五年)にメートル法条約に加入し昭和三四年(一九五九年)にメートル法が完全実施されました。なお此処から葛西用水は武蔵野線下の隧道を通り抜け、四・五キロメートル先の元荒川の瓦曾根溜井に繋がっています。葛西用水の取水口近くに慈恩寺道の道標が建てられています。道標の向こうに見える橋は、瓦曾根溜井と元荒川に架けられた※しらこばと橋です。以下は自称しるし石とされる道しるべの記載です。 右面に これより上流、慈恩寺まで三里半(一四キロメートㇽ)と記されています。前面に 庚申講中の記載、享保八年(一七七三年) その下に参加者の一一名の名前が記されています。左面に これより左 大相模内の吉川へ一里、これより右 市川まで五里(約二〇キロメートㇽ)と行き先が示されています後面に たび人の 道しるべともかな しるし石 もぢはくちせぬのりのかよいぢ と和歌が読まれています。
しるし石は慈恩寺道標と同時期に建てられ、始点の市川(小岩・市川の渡し)と終点の慈恩寺が明示されています。過去から現在へメッセージを伝えるタイムカプセルです※里程元標は、明治時代初期の里程調査のためにおかれた距離標です。里程元標の位置から主要地点までの距離が、尺貫法 による「 里 ・ 町 ・ 間」 の単位で示されていました。※しらこばと橋 シラコバトは江戸時代に飼い鳥として インドから持ち込まれ野生化しました。三〇センチほどの小型で乳白色のハトです。国の天然記念物に指定されています。越谷市内の「野鳥の森」で観察ができます。しらこばと橋はシラコバトをモチーフにした高さ五一メートル の斜張橋です。[榎本淳三郎]
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