土偶は、粘土を焼いて作った人形であり、女性を表したものといわれています。縄文時代の初め頃から、みられます。早期から前期では、土偶は少なく、前期後半から中期になると、東北地方や中部地方を中心に増加していきます。特に中部地方では中期に立体的な土偶が増え、土偶を使ったまつりなどが行われたといわれています。関東地方では後期の後半から晩期にかけて土偶が増加し、後期後半から晩期にかけて「ミミズク土偶」と呼ばれる土偶がみられるようになります。特にさいたま市のある大宮台地では、縄文時代後期の終わり頃から晩期にかけてたくさんつくられたようです。真福寺貝塚を初めとして、馬場小室山遺跡(緑区)、東北原遺跡(見沼区)、など市内にはこの時期の遺跡が多く、ミミズク土偶がたくさんみつかっています。ハート形の輪郭の顔に、刻みをもった丸い目や口が表現され、ミミズクに似ていることからこのように呼ばれています。顔の両側の耳の部分にも円形の表現がみられ、耳飾りを付けた状態を表し、また頭に見られる瘤状や角状の突起は、結った髪や櫛などを表現しているともいわれ、縄文人たちの装いをうかがえるようです。現在、東京国立博物館にある「真福寺」のミミズク土偶は、高さ二〇・五㎝、ほぼ完全な形をとどめています。全体的に赤く塗られていたようです。ミミズク土偶の優品であり、昭和三二年二月一九日に国の重要文化財に指定されています。やがて晩期の中葉になると東北地方の影響を受け、遮光器土偶をまねたものや、遮光器土偶のように中空になったミミズク土偶もみられるようになりますが、全体的に土偶は少なくなっていきます。一一月後半から岩槻郷土資料館では、「真福寺貝塚の今とこれから」という展示を行い、最近みつかった真福寺貝塚のミミズク土偶や土器などを展示します。また関連の講座も行っていく予定です。
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