私は台湾の玄奘寺の三蔵法師の遺骨に端を発し、小岩の慈恩寺道標から、此処岩槻の慈恩寺まで道標に導かれ、たどり着きました。江戸初期には、この慈恩寺道がありました。地図のない時代に、多くの人がこれらの道しるべを頼りに、人生の何かを求めて、この道を歩いていました。こん日ではこの道は忘れ去られていますが、人々が願いを叶えるためのとても大切な道でした。歴史ある道を人が迷わず安全に通えるよう、人と村が協力して資金をだし合い多くの道標が道添いに建てられ、何百年にもわたり維持されていました。詳しい地図が明治一三年にでき、道路や河川が整備され、交通機関が発達すると、人は歩くことをやめ電車、車を利用してお寺参りに出かけるようになりました。ただひたすら歩いて体力をすり減らし、目的地に向い達成感を得ると言う、本来の価値観が薄れてこの道は消えました。私は実際に旧小岩市川の渡しの慈恩寺道標から慈恩寺迄の全ルートを歩いてみました。二〇一九年一二月二一日 朝七時に道標前を出発して江戸川土手から、水元の岩槻橋通り、大場川水門では中川開削以前(大正八年)は陸続きで行くことができた場所へ直進できず、遠くに架かる汐止橋を迂回し、ルート上の常念寺万人の塔へ戻りました。垳川添いから、葛西用水をさかのぼり、元荒川の瓦曽根しるし石に一二時頃に着きました。三〇分程休憩をとって元荒川沿いを上流に向かって進み、夕方四時三〇分頃に慈恩寺に到着しました。一二月の日差しは短く、お寺に着いた頃のお寺の境内は薄暗くなっていました。お堂の観音様に目を向けるとキラキラしたお堂中の飾り金具の光が反射して全身がつつみこまれ、歩き疲れた身体が少し楽になった気がしました。 慈恩寺道は旧小岩市川の渡しから瓦曽根溜井のしるし石迄は五里、地図仮実測は二〇・五㎞です。 瓦曽根溜井のしるし石から慈恩寺迄は三里半。地図仮実測は一四・四㎞です。小岩から慈恩寺迄は約八里半、地図仮実測で単距離を合計するとおよそ三五㎞でほぼ一致していました。【榎本淳三郎】
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