「石鏃(やじり)」
石鏃は弓矢の「やじり」として使われたと考えられる石器で、狩猟をするための道具の一つとなっています。縄文時代の初め頃から、それまで使われていた槍に代って使われ始めたようです。それは、氷河期にみられたナウマンゾウ、オオツノジカ、ヘラジカなどといった大型の動物が気候の温暖化に伴って、姿を消していき、イノシシやシカといった動物へと狩猟の対象が変わってきたことによるものといわれています。
さいたま市内の真福寺貝塚、黒谷田端前遺跡(岩槻区)、馬場小室山遺跡(緑区)などの遺跡からたくさんの石鏃がみつかっています。石材は、黒曜石やチャートといった鋭く割れるものが用いられています。大きさはおよそ二〜三㎝程のものが多く、形は三角形のもの、基部に抉りをもつもの、基部に茎をもつものなど様々なものがみられます。
一般に遺跡からみつかる石鏃はそのものだけで、柄のついた状態でみつかることはほとんどありません。そのため、石鏃がどのように柄につけられていたかはあまりはっきりとしていませんが、寿能泥炭層遺跡(大宮区)からは、全国的にも例の少ない、柄の一部がついた状態のチャート製の石鏃がみつかっています。また、南鴻沼遺跡(中央区)でも柄の一部がついた状態の石鏃が二点、みつかりました。この二点の石鏃はいずれもチャート製のもので、柄につけた部分にウルシが用いられており、接着剤として使われていたことがわかりました。さらにこのウルシの成分を分析したところ、「セルスキテルペン類」と呼ばれる、天然の植物中の精油成分に含まれているものがみつかりました。これは、縄文時代の人々が、接着剤とし
て用いたウルシを、滑らかに使いやすくするために混ぜた可能性も考えられるものです。縄文人の工夫がうかがえ、石鏃を柄につける様子を知る一つの資料となりました。
石鏃は縄文時代だけでなく、弥生時代にも使われていたようで、類似する石鏃がさいたま市内の遺跡からもわずかですが、みつかっています。
郷土資料館展示石鏃です
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