コラム 子ども奮闘記 「叱るという教え方」

 学童で働いていた私が子供との関りを綴る日々の記録です。

 子供との関わりの中でいけないことをどうやって教えるかもとても苦労をした部分でした。なぜ苦労するようになったのか。その背景を前半では話すことにしましょう。
 私は幼少期の頃からできないことが多く、そういうわけで両親から叱られることが多かったのですが、叱るというのは、ともすれば「それではいけない」ということであり、何度も叱られるうちに、「そういうことをしてしまう自分が駄目なのだ」と思うようになっていました。多感な時期では自己肯定感が低く、生きづらさを感じていたのでした。
 私は「親のように叱るまい」と固く心に決めていたのですが、それは私と同じような思いを子供にしてほしくなかったからです。結果として、いざ子供と向き合い、叱るときに、それができなくなっていたのでした。
 私は葛藤します。「第二の私のような体験を踏ませてはいけない」「しかしよくないことははっきりと言うべきではないか」という思いで悩むことになったのでした。
 私にとっては「叱ること=傷つけること」であり「人格否定」であり、「努力の駄目だし」だったのです。でも受け入れるだけでは「それではいけない」と周りの支援者から言われます。さて、どうすればいいのでしょう。私はわからなくなってしまい、子供との関わりが暗礁に乗り上げてしまったのでした。
 【ともくん】

 

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