岩槻郷土資料館では、令和六年一月二一日(日)まで、「さいたま市史 通史編 原始・古代Ⅰ」に掲載されている縄文時代の資料を中心に「縄文時代のさいたま」の展示を行っています。
今回は、この企画展の展示資料の中から「様々な土偶」について紹介します。
土偶は女性をかたどったといわれ、呪術的、信仰的な遺物と考えられています。
縄文時代草創期からみられ、早期や前期の土偶はごくわずかで、後晩期になると地域的な特色をもち、全国的にその数量も増加していきます。
さいたま市内では、西区西大宮バイパス№4遺跡から、全国的にも珍しい縄文時代早期中頃の土偶がみつかっています。
腰の部分の破片ですが、バイオリンのような形をしているものと思われます。
前期の土偶も全国的に少ないものですが、緑区井沼方遺跡や大古里遺跡などからみつかっています。
今回展示はしませんでしたが、緑区松木遺跡の土偶は、全長二・四㎝、日本一小さいといわれ、さいたま市指定文化財となっています。
中期前半の土偶も類例は少ないものですが、南区根岸遺跡や別所遺跡、大宮区側ヶ谷戸貝塚からみつかっています。
別所遺跡の土偶は、大きさは小さく、腹部から左足の部分だけですが、国宝の長野県棚畑遺跡の「縄文のビーナス」と呼ばれる土偶と同じような形状をもち、同じ時期のものと考えられます。
後期の後半からさいたま市周辺では、ミミズク土偶と呼ばれる独特な土偶がみられ、岩槻区真福寺貝塚のものは国重要文化財に指定されています。
見沼区小深作遺跡、北区東北原遺跡などにも多くみられます。
また緑区馬場小室山遺跡からは東北地方の遮光器土偶を模倣したと思われる土偶がみつかっています。
岩槻区黒谷田端前遺跡の板状の土偶は、頭の部分が中空になり、頭頂部は遮光器土偶と共通しています。
形状は異なりますが、遮光器土偶との関連がうかがえるものでしょう。
他にも中空の腕や脚の部分がみつかっています。
緑区前窪遺跡では顔に入れ墨をしたような土偶があります。
これは縄文時代晩期の終わり頃から弥生時代にかけてのものといわれています。
今回の展示をご覧いただき、様々な土偶から縄文人たちの祈りや願いなどを感じていただければと思います。
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