前回の岩槻郷土資料館だよりでは、令和五年一二月に新たに資料館に寄贈を受けた、岩槻区相野原の墓地に所在していた板碑を紹介しました。
今回も引き続き、岩槻郷土資料館で所蔵している板碑について、紹介していきます。
今回紹介する板碑は、平成四年五月二二日、岩槻区慈恩寺一〇〇四番地の八幡神社境内で土木工事中に出土したもので、同年一二月八日に郷土資料館に寄贈されたものです。
この板碑は、上部と基部の一部が欠損していますが、ほぼ全容を知ることができるものです。高さ五四・〇㎝、幅一八・五㎝、厚さ二・六㎝、蓮座の上に阿弥陀如来を表す梵字「キリーク」が刻まれています。
これは、「阿弥陀一尊」を表すものです。
板
碑では、こうした阿弥陀如来を梵字で刻むものが大部分を占め、埼玉県教育委員会による悉皆調査では、全県で八九・四%を占めていました。
蓮座の下には、「建武二年正月」とあり、「年」の左右には「乙」「亥」と干支が刻まれ、「月」の左右に「廿」「六」とあることから、鎌倉幕府の滅亡と南北朝時代へと移っていく、激動の時代である、「建武二年(一三三五)に造立されたことがわかります。
岩槻区内の板碑はこれまでに、埼玉県教育委員会による全県の悉皆調査や岩槻市史の調査・平成三年にその補遺として行われた調査など、何度か調査が行われてきました。
その結果、区内で確認できた板碑は、九四五基となりました。
今回紹介した板碑は、前にも述べたように平成四年に出土したものであり、これまで行われてきた調査では、記録されていないもののひとつとなります。
今後、岩槻区の板碑は、発掘調査などで、新たに発見されるものや個人の墓地に所在しているため、調査から漏れてきたものなど、さらにその数は増加していくものと考えられます。
板碑は、史料の少ない中世を知る貴重な史料といえます。この板碑は、平成二九年度に郷土資料館で行った「収蔵板碑展」で展示を行いましたが、これからも、機会をみて、展示していきたいと思います。
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