⑭ 戦争の記憶 が残る貴重な「いろは 歌留多」

藤川公成氏がシベリア抑留の様子を『いろは加留多』として、昭和55年1月に記した、新旧2本を同じ頭文字のカルタを新(カラー)、旧(白黒)の対比した形で連載しています。
紙面掲載への経緯は弊紙6 5 4と6 5 5号で既に掲載されていますので割愛します。


【く】

食いたいだけの朝・昼・晩

- 飢餓の前に理性が喪失してゆき、疲労しつくした肉体がさらに拍車をかけて、泣き続ける腹の虫は人間性を奪い、あらゆる食べ物への妄想鬼となる、空想の世界以外に空腹を満たす場がないのだ。現実には毒草、毒キノコで命を落とした者も少なくない。民主主義の波も食料事情が一応落ちつくまでは、進攻してくることはできなかった。「おい、何か言い残すことはないか」「うん、ハラ一杯食ってから死にたかった」死者は呟き昇天した。

【く】

国敗れても父母はあり

-日本国土荒廃、国民餓死、米軍を中心とする連合軍に占領され、完全に自由を奪われている。
日本新聞は刻明に報道して、兵たちの心に赤い洗礼をほどこそうとするが、兵たちは祖国を信じた。国敗れても山河あり、我が子を待つ父母ありと。
自らの眼で確かめるためには死んではならないとも。


【や】

伐採(やま)は地獄の一丁目

- 伐採作業が一番生命を奪った。バイレでも最初工兵隊、交替岩崎隊が派遣されたが帰ってくる兵は、みな焼け焦げだらけのボロ服で傷つき荒れていた。私はバイレを去りチタで再編成された混成隊五百名の一員として出発、バイカル湖畔北方の伐採地に放り込まれた。よく耐え得られたと背筋が寒くなる思いだ。先住残留兵がいたが森の墓地には、墓標が林立していた。その数は二百をくだらない。私達も何本かを増やしてしまった。

【や】

山から帰った負傷兵たち

- バレイは金山で坑内作業と露天掘りが主労働であったが、そのため杭木採取に伐採隊が派遣されていた。
山中の環境は悪く、しかも慣れぬ作業に負傷者が続出していた。
負傷者、凍傷患者、栄養失調者と帰所し代りが出発した。
まともな治療もできぬまま、雑布のようになつて運び出されていった。

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