村上米子さんらが建立した「紅梅の塔建立趣意」には、『逃避行の生き地獄』が記されている。
どんなことがあったのか数例の実例を紹介する。
待ち伏せか、前方で激しい銃声がした。
前進も後退もできなくなり完全に包囲されてしまった。
進退窮まり、肉体的にも精神的にも完全に追い詰められた。
もう切り込み以外に脱出する道はない。
自分は直接 団長の指示は聞いていないが『病人・ 歩けない人・ 5歳以下の子供は全員処分せよ』との団長の指示があった。
つまり「足手まといになる人・ 自分で歩けない人は殺せ」という意味だった。
ほとんどの人が絶望的になった。
生き抜くことより死を意識した。
あちこちで我が子の首を手ぬぐいで締める光景が絶望と地獄の世界だ。
私の母親も鬼のようになった。
我が家の妹ももう5歳で言葉を話し自己主張するようになっていたが、今の状況は当然に理解できない。
歩ける人は全員が死を覚悟の突撃をせねばならない。
生きる望みはない。幼い我が子の未来もなく、親として幼い我が子の始末を見届けることができないなら、自分の手で始末した方が自分も安心して死んでいける。
大部分の親はそう考えたと思う。母は、私たち兄弟に分らないように末弟の「始末」をした。
(実際は見えた)さすがに妹は同じようにはいかない。
他の人たちは子供を抱いて川に投げた。
母も同じ行為をしたが、ここ2・3日 食事をしていないので、体力がなく、妹を川の流れの中へは投げられなかった。
妹は泣きながら岸の草に捕まり這い上がってきた。
それを見て姉が、「私が連れて行く」と妹を抱き上げた。
姉はこの5日後に一四歳の若さで力尽きた。
(元満州中川村開拓団 高橋章著 私の敗戦回顧録より)中川村は現在の秩父市
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