ともちゃん地蔵ってなぁに ⑬

  1. 根こそぎ動員

満洲農業移民百万戸移住計画では、1932 年からの14 年間に、約 27 万人の人が移民しました。
開拓団として満州へ行けば、兵役免除になるし空襲もなければ本土決戦の不安もないという約束で満州に渡った日本人たちの栄華は、わずかたったの5~6年間程度だったのです。
4月4日、ソ連から日ソ中立条約破棄を通告され、ソ連の参戦を察知した(※3)日本軍と関東軍は、開拓団を守ろうとせず一方的に南部に撤退しました(※1)。
その結果生じた関東軍の空白を埋めるため、満蒙開拓団の男性を根こそぎ動員し、急ごしらえの軍隊を造って警備にあたらせようとしました(※2)。
この軍隊は、武器も十分に行き渡らず、訓練も受けていない貧弱な集団でした。
こうして残された女性・子ども・老人たちは、身を守ってくれる人も軍隊も乗り物もないまま、悲惨な逃避行を強いられることになるのです。
進駐してきたソ連軍に襲撃されたり、日本人に恨みをもった現地の人に襲われるなどして、集団自決や病気、栄養失調などによって、開拓団の約3人に1人にあたる約8万人が命を落としました。

※1 南方への避難は、軍や南満州鉄道社員、その家族らが優先された。
多くの開拓団員は、玉音放送のあった15日まで何も知らされていなかった。
※2 敗戦1ヶ月前の7月、満州にいた17歳から45歳までの日本人男子約25万人が現地の軍隊に編入された。
多くが満蒙開拓団の男性で、武器は全員には行き渡らず、竹槍で武装する部隊さえあった。
※3 1945年2月に開かれた米英ソ三首脳によるヤルタ会談で、ドイツ降伏後にソ連が対日参戦することを約束された。

また樺太南部およびこれに隣接する一切の諸島はソ連に返還され、千島列島はソ連に引き渡されることも決定された。
4月 4日(日ソ中立条約破棄を日本に通告)。
5月 8日(ドイツ降伏)。
7月26日(日本へ降伏要求)。
8月 8日(ソ連対日宣戦布告)。
8月 9日(ソ連対日参戦)。
8月14日(ポツダム宣言受諾を通知)。
9月 2日(降伏文書に調印)

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