私は今年で8回目の年男になった。
と云うことは、96歳を迎えたことになる。
子供の頃は年男というと色々な役目があった。
お年賀の挨拶まわりに付き合わされたり、家ではお屠蘇をつがされたり、自分より幼い者たちにはお年玉を配ったりした。
松の内は何でも年男が利用された。
そして最後の役目は節分の豆まきである。
近年は客寄せの意味もあると思うが、年男・年女・干支には関係なく、神社仏閣では有名人による豆まきが行われるようになった。
今では年男の価値がすっかり下落し、巷では聞かれない言葉になったが、昔の武家社会では新年の門松立て、若水を汲み、飾りつけをした歳徳棚に供えるとか、一切の儀式を取り仕切っていた。
今年は60年に一度巡ってくる丙午でもあるが、十二支で数えると7番目でラッキーセセブンある。
午を馬と読んで辞書で調べると、あまり良い意味のものがない。
「馬耳東風」では春風の喜びや、「馬の耳に念仏」では、念仏のありがたさが人とは違って馬には分からない。
という事であるが、本当にそうだろうか。
先の事は、この年になっても解らない。
「塞翁が馬」という故事もある。
これまで年頭に今年の目標も立てずに流れに任せて生きてきたが、他人に迷惑をかけない、という両親からの教えを守って、8巡目の年男を迎えることができたことで「良し」とする。
自分に対しても「ご苦労さん、ご苦労さん」である。
【加藤 三郎】
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