
児玉南柯自画像
企画展
「児玉南柯・遷喬館にまつわる宝物100」
~児玉南柯生誕二八〇年~
遷喬館の創始者で、岩槻藩士、儒学者でもある児玉南柯は延享三年(一七四六)の生まれといわれ、今年、生誕二八〇年を迎えます。
そこで、岩槻郷土資料館では、児玉南柯・遷喬館に関わる資料一〇〇点を集め、『「児玉南柯・遷喬館にまつわる宝物100」~児玉南柯生誕二八〇年~』と題した企画展を行います。
期間は九月一九日(土)から一一月一五日(日)までの約二か月となります。
今回は、さいたま市指定有形文化財となっている「児玉南柯遺品」などを展示します。

菅神像
「児玉南柯遺品」には「児玉南柯自画像」や「菅神像」があります。
「児玉南柯自画像」は遷喬館にその複製が掲げられていますので、ご存知の方も多いかと思います。
これは児玉南柯八二才の時の自画像と伝えられているものです。
また「菅神像」は、上総国一宮藩主加納久周(ひさのり)によって享和四年(一八〇四)に描かれたものです。
「児玉南柯日記」によれば、文化二年(一八〇五)三月一六日にこの画像を久周から賜り、学舎の鎮守とし、六月二五日に落成されたばかりの菅神祠の壁にこの画像がかけられたことが記されています。
久周は大岡家から加納家を継ぎ、子供の頃には南柯を素読の師としたことから長い交流がなされたようです。

児玉南柯の和歌
また南柯は、儒学者・行政官としてだけでなく、文化人としても活躍し、和歌や漢詩を多く残しています。
児玉南柯日記の中にはたくさんのものをみることができます。
この他、南柯が処理に携わった岩槻藩領の安房国南朝夷村千倉(現在の千葉県南房総市)に漂流した清国船「元順号」の模型や「元順号」の船主であった「沈敬瞻」の漢詩の軸も展示します。
この漢詩は「庚子歳仲夏上浣」と記された七言絶句の漢詩で、安永九年(一七七九)五月の上旬に「沈敬瞻」が南柯らによって救出され、間もなく千倉の地で書かれたものと考えられています。
今回は、講座や郷土資料館と遷喬館をめぐるスタンプラリーも計画していますので、ふるってご参加ください

元順号模型
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