小田川が氾濫した倉敷市真備町では、5.3mの高さまで浸水し4600軒が水没。逃げ遅れた51人が亡くなりました。そのうち45人は高齢者で、2階への階段を上がれなかった人が多く、ほとんどが自宅1階で亡くなっていました。屋根から救助されて助かった人も、家がまるまる水につかったため家電製品や衣類、布団といった家財道具がすべて使えなくなりました。体ひとつで逃げたため、車も流されてしまい「全財産が財布とスマホ」という方も珍しくありませんでした。子どもたちは学校の教科書も失い、倉敷市では教科書の再配布も始めました。家によっては2階の天井まで泥だらけで、猛暑でそれが乾くとあっという間にカビだらけとなりました。水災特約付きの火災保険や車両保険に入っていなかった人も多く、被災者からは「もう生活の再建ができないから笑うしかない」という声もありました。小田川は以前にも氾濫したことがあったため、倉敷市はハザードマップを全住民に配布。予想されていた浸水域とほぼ同じ範囲が再び水没してしまいました。住民の多くは、「浸水しても2階に逃げれば大丈夫だろう」と勝手に思い込んでいたため逃げ遅れました。伊東香織市長はテレビのインタビューで「着替えなどの物資が全然足りません」と発言。それを見た近隣住民が物資を持って市役所にかけつけると、倉敷市は「個人からの支援物資は受け付けない」と門前払い。現場は大混乱となり、浸水エリアの境となる橋のふもとに支援物資が勝手に放置される事態となりました。避難所となる学校も水没してしまったため、浸水しなかった高台の岡田小学校には700人以上が避難し大混雑。今度は被災者を夏の猛暑が襲いました。熱中症の危険があるため、市はエアコンの寄付を呼びかけ、40台のスポットクーラーが民間から集まりました。発災から4日目には、「避難所・避難生活学会」が倉敷市の避難所へのダンボールベッドの導入を提案。伊東市長がそれを受け入れたため、倉敷市の全避難所に段ボールを組み立てたベッドが設置されました。体育館の床に寝たままの生活では、周りを人が歩くと床が揺れるため目が覚めやすく、お年寄りは床から起き上がるのが難儀となり、血栓が発生するエコノミー症候群が起きやすいのです。日本では災害そのものによる死者より、その後の避難生活中に亡くなる「災害関連死」のほうが多く、一部からは「日本の避難所は難民キャンプより劣る」と指摘されています。万が一のとき、はたしてさいたま市では災害時に段ボールベッドの早期導入など、快適な避難所の運営ができるのでしょうか。岩槻区でも元荒川の東側や東岩槻駅周辺など、浸水が予想されている地域があり「大雨のときに避難してはいけない避難所」もあります。必ずハザードマップを見て、自分の住む地域の危険性を確認しましょう。「さいたま市 ハザードマップ」で検索してみてください。【さいたま市防災アドバイザー・加倉井誠】
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