河合小学校近くにある平林寺赤坂沼を訪ねてみた。今から650年ほど前の南北朝時代に、この近くの台地に金鳳山平林寺が創建された。その後、350年ほど前の江戸時代に野火止(新座市)に移転され、現在の13万坪にもおよぶ山内を有する臨済宗の古刹は、岩槻が古里だったようだ。当時の面影が残されているのかは分からないが、当時からある赤坂沼の周辺は南側に斜面林が連なり、ネット上では四季折々に貴重な自然観察できるスポットと紹介されていた。しかし、沼と思われる一帯にはヨシが生い茂っていて水面の見える所まで入ることもできず、周囲には案内の看板も見当たらずに「自然豊かな」というよりは、忘れ去られて放置されているような感覚をおぼえた。首都圏内で長い歴史と自然が混然として今に残すこの場所は、多くの人にとってのふるさとでもある。ちょっと磨けば大きく光る宝の山が至る所に眠っているように思えるが、地域の資源として活かすには、磨き方や光の当て方もう工夫が必要なのかもしれない。【編集部・奥山】
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