長かった梅雨もやっと明けた先月末、岩槻区高曽根の山口畑一さん(92歳)のご自宅を訪れた。この土地に生まれ、40年間教職に身を置き県立高校の校長職を経て退職、その功労により瑞宝小受章の叙勲の栄に浴されています。現職中の30年間は「郷土玩具」の収集と考察に当たり、退職後に大正から昭和期の版画家・洋画家・教育者である山本鼎(ヤマモト カナエ)(1882~1946)の思想と活動に共鳴し、農民美術作品の収集と考証及び農業組合活動の研究に軸足を移して行った。山口さんが生まれた当時の日本は大変貧しく「小作農家に生まれた子供に、せめて1反歩(300坪)の畑を持てるような人間になって欲しいとの親の願いを込めて「畑一」と付けてくれた」と話してくれた。この様な背景もあって、山本鼎の活動の中でも戦前の地主制度における小作農民の窮乏生活に生きがいと誇りを持たせたい、農閑期を使っておみやげ品を副業として作らせる自力更生の運動の考え方に共鳴し、農民芸術運動の研究に移ってから30年以上になる。大正から昭和初期にかけては、岩槻でも雛人形が農家の副業によって支えられたと、昭和5年の報知新聞に書かれている。ご自宅は、長年かけて収集した各地の農民美術木彫風俗作品で埋め尽くされ、きれいに分類されていたがスペース的に展示できていない貴重な作品も多数眠っており「岩槻人形博物館に来た方にも見てもらえる機会が作れたら嬉しい」と語ってくれた。人形への愛着と情熱は岩槻への地域愛から生まれている。このような貴重な収集作品を地域の為にも活かしてほしいものである。現在も郷土玩具関係の研究会などに所属し、機関紙への寄稿も多数と聞く。また今年中には「昭和大礼大嘗祭記念品農民美術悠紀人形」と「農美木彫風俗人形写真集」も発刊予定との事。【編集部:奥山】
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今月の言葉【2019年8月】
準備が進む中心部の新施設 人形博物館とにぎわい交流館を訪問
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