零下三〇度の地獄の収容所
まもなく新京の街にも寒い寒い冬がやってきました。木枯らしがふいて、葉が黄色くなって一枚一枚が、ひらひらと灰色の大空へ、吸い込まれていくように、元気だった“ともちゃん”はじめ多くの孤児たちも寒さと飢えと病気のために、春を待たず天国へ召されていきました。
ともちゃんも、ともちゃんのお友だちも、“ともちゃん”とおなじように体をくの字にまげ、おへそを見ながら死んでいきました。
理科室にあった死体収容所には大人や子供の数多くの死体が無造作に並べられていました。
形ばかりの供養の火のついていない一本のローソク台とあきかんのせんこうたてが置かれていました。
週一回マーチョ(馬車)に二十数体荒縄でくくられてどこかへ運び出されていました。
十月下旬になると理科室の中は、死体の山がきづかれ足のふみばが無くなってしまいました。
そこで各部屋から二名ずつ出て死体を整理することになりました。
まるで線路のまくらぎのように井げたに積み重ねました。教室一杯に井げたの塔が並びます。
並びきれなくなると、運動場に掘ってあった穴に十数体放り込みます。
すでに体力の限界に達した私達は静かに置くという気力さえ無くなり早く作業が終わればいいだけを願うようになりました。
寒さが加わるにつれ死体を穴へ放りこむとコツンとかコーンと長く音をひきます。
その音によって気温の差が分かるようになりました。コツンというのは、氷点下二十度。
コーンと尾をひくような音になると三十度以上の時にそのような音がします。
その頃になると人間の感情と言うものが無くなってきました。
【出典】増田昭一さんの手記「満州の星くずと散った子供たちの遺書―新京敷島地区難民収容所の孤児たち」(夢工房)より抜粋
序文には「みんな精いっぱい生きようとした。
しかし、寒さと飢えと病気には勝てなかった。(以下略)とある。
【いわつきともちゃんの会・新井治】
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