昭和20年8月15日。
敗戦を告げる玉音放送が流れる中、新潟市ではそれを聞くべき住民の姿が消失していた。
広島、長崎に続き、三度目の原爆が新潟に落とされるとして、知事が疎開命令を出していたからだ。
その前の8月1日の夜には、近くの長岡市で大規模な空襲があり、1488人の命が奪われ、長岡は焦土と化した。(この長岡空襲を忘れないよう、今でもこの日に長岡花火大会が行われている。)
一方、人口が17万もあり、朝鮮半島への玄関でもあった港町の新潟市には空襲がなく、「新潟は海の神様に守られている。」と市民が誤解するほどほぼ無傷で残されていた。
内務省から新潟県に派遣され、官選知事として赴任していた畠田昌福(はたけだまさとみ)は、「次に新型爆弾が落とされるのは新潟市かもしれない」と危惧し、部下を東京の内務省に派遣。
内務省では、「市民がパニックになるので疎開命令は出すべきではない」と反対。
しかし、畠田はその反対を押し切り、自らの処罰や降格を覚悟した上で8月11日に強制疎開命令を出した。
ところがこの内容が事前に漏れ、ほとんどの新潟市民は10日の夜から市内を抜け出していた。
当時、「新型爆弾は朝、太陽が出るとその光を利用して落とす爆弾なので、夜のうちに逃げたほうがいい。」というデマが広まっており、リヤカーに荷物を載せた市民が郊外を目指してパニックになっていたという。
疎開命令では、「官公庁職員や警備、防空に関わる職員は市内に残る」と命じたものの、ほとんどの行政職員や警察官も市民とともに逃げてしまったという。
戦後、米軍の原爆計画が明らかになると、新潟も候補地の一つであったことが明らかになった。
畠田知事の判断は間違っていなかったのである。
今、首都直下地震や南海トラフ地震が発生したら、都市部の被害は甚大で、生存者を強制的に疎開させないと命を守れない可能性すらある。「疎開」とは決して遠い昔の話ではないのである。
この本には、満州国の建国大学の学生生活や、終戦後に満州から日本に持ち込まれた最後の秘密など、戦時下で生き延びた人たちの貴重な証言がまとめられている。
夏休みにじっくりと読むことをおすすめしたい。
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