岩槻駅東口をまっすぐ進み、一つ目の交差点から右斜め方向へ入ると、釈迦如来を本尊として室町時代初期からの寺院である曹洞宗の芳林寺がある。本堂は現在工事中であるが、境内へ入った右側におもしろい内容の石碑があります。それを見ると、明治4年の太政官布告で埼玉県の県庁の位置は城下町としてにぎわっていた岩槻とされ、ここ芳林寺に最初の県庁舎が設置されたがまもなく浦和に移転してしまったとのことだ。理由とされるのが、岩槻町長秋葉保雄氏の話である。それを見ると、たびたび耳にする「岩槻町は県庁を邪魔者扱いにして追い払ったので浦和に移された」という話は、どうやら違っているそうだ。藩士で家老格の家柄で剣術の達者な男がいて、廃藩置県後は剣術では飯が食えない。男は県庁に士官したいと希望するも頭ができないので採用されない。遺恨に思い毎日のように仮庁舎に出掛けては嫌味を並べては暴れた。こんなうるさい所へ県庁は置かなくてもよいと、どうやら移転にすることになったという。諸説あるものの、この話からすれば、この男がいなければ、もしも先見の明が岩槻に少しでもあればその未来は大きく変わっていたのかもしれない。 ずれにせよ過去に何を学ぶかは大切で、現在の岩槻は時代に取り残されぬよう明治維新と同じくらいの変化が必要になっているのかもしれない。
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