岩槻地方史研究会 岩槻九町について㉑ 札所「准四国八十八箇所」

江戸時代以前から人々の神仏への信仰は、職業神信仰・観音信仰(西国、坂東、秩父)、百堂信仰、弘法大師信仰などがあり、諸国巡拝に出かけていました。
江戸時代になると縁日・開帳・神仏仏閣等への参詣などが活発化します。
特に寺院の縁日、八日が薬師、十八日が観世音、二十八日が不動尊の日で、関東地域では成田不動尊、西新井厄除大師、榛名山、善光寺など、遠国では西国三十三観音、四国八十八箇所、伊勢、羽黒山などへ参詣しています。
特に江戸時代中頃になると社寺参詣の名目のもとに温泉への湯治や遊山へとつながり、坂東三十三ヶ所、西国三十三ヶ所、秩父三十三ヶ所、四国八十八ヶ所等の札所の地方版が各地に新設されました。
その中の一つに四国八十八ヶ所を模した「准四国八十八箇所があります。
この「准四国八十八箇所」は、明和五年二月二十一日(一七六八年)に設立され、一番三箇村明性寺(久喜市菖蒲町)に始まり、八十八番三箇村永勝寺(久喜市菖蒲町)で結願します。
その範囲は、久喜市、白岡市、蓮田市、宮代町、春日部市、越谷市、岩槻区、蓮田市、上尾市、伊奈町、鴻巣市、桶川市、北本市、加須市に及ぶ広範囲なものでした。
巡礼者は、「南無大師遍照金剛」と肩中に書いた白衣を着て、袖なしの小袖の上に笈摺を負い、胸には札箱(収める札を入れます。)をさげ、腰に御座、首に数珠、手に金剛杖を持ち、柄杓、面桶をも持参し、鈴を鳴らし、御詠歌を唱えながら巡拝したといわれています。
金剛杖は、弘法大師のご加護で無事に巡拝できる護身の杖、笈摺は、御宝印をいただき、死後の旅路に着けるものとされています。
「准四国八十八箇所」札所の番号は廻る順番ではなく、廻る順は地理的なものと考えられます。
岩槻近辺の順路は、七十七番実ケ谷村正明院(白岡市)、五十番上野村法性院(岩槻区)、五十八番百間村西光院(宮代町)、二十五番野島村浄山寺(越谷市)、二十九番岩槻千手院(岩槻区)、五十二番岩槻大龍寺(岩槻区)、七十八番岩槻浄国寺(岩槻区)、七十一番岩槻平林寺村宝蔵寺(岩槻区)、四十六番馬込村万蔵寺(岩槻区)、三番原市町宝蔵寺(上尾市) の順で巡拝しています。
巡礼者は、札所等で湯茶の接待を承けたり、品替りをたべたりしながら、農閑期を中心にお参りをしていました。
岩槻九町杉並町の千手院は、御本尊千手観音(春日御作)、御詠歌は「しひのためにもれるうきよのつミ人も たすけ給へや せんじゆくわんおん」と唱えられました。
千手院は、その昔は裏小路にあったと伝える古刹です。
また、岩槻九町久保宿町の大龍寺は、御本尊十一面観音(行基御作)、御詠歌は「雲のなる しやミの山よりおつるとも 我をねんせよ身ㇵつゝかなし」と唱えられました。
大龍寺は、岩槻城主青山忠俊公が造立した寺院です。
【文責・飯山実】

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コメント

    • heiya
    • 2021年 4月 10日
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    はじめまして、コメントさせていただきます。こちらの霊場につきましては記載されている資料がありましたらお教えいただくことは可能でしょうか?札所を知りたいと思っています。よろしくお願いいたします。

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