岩槻郷土資料館だより㊱ 「勤学所の額」

「遷喬館」は岩槻藩に仕えた児玉南柯が、寛政一一年(一七九九)に城下裏小路に開いた私塾でした。
これが後に岩槻藩の藩校になり、藩士の子弟の教育の場となったものです。
その時期は、定かではありませんが、文化八年(一八一一)の児玉南柯の書状の中に岩槻藩の藩校となったことが見られので、この時点で私塾から藩校へとなっていたようです。
そして藩校となった際に、名称は「勤学所」と改められました。
今回紹介する「勤学所」の額は、縦一三二㎝、横三四㎝、厚さ二㎝程の木製で、右から左に「勤学書院」と大書されています。
裏面には、「文政己丑春二月」「児玉琮謹書」「篠崎徳振謹刻」とあり、「文政己丑」の年、すなわち文政一二年(一八二九)二月に児玉南柯が筆をとった文字を篠崎徳振が刻んだものであることが分かります。
勤学所に掲げられて、風雨にさらされていたためか現在は墨が落ち、彫り込んだ文字しか残っていませんが、南柯の力強い文字を見ることができます。
なお、この額の文字が書かれた文政一二年は南柯がなくなる前年にあたります。
勤学所の敷地の中に文化八年「武芸稽古所」が設立され、翌文化九年には菅神廟が再建され、徐々に藩校として整えられてきたようです。
文武両道を重んじた南柯は、武芸稽古所ができたことを書状の中で「大慶に存候」と喜びを表しています。
この額は、現在岩槻郷土資料館で常設に展示を行っているもので、遷喬館とあわせてご覧いただき、当時をしのんでいただけたらと思います。

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