
百万遍の数珠
百万遍とは大珠数を繰り回しながら念仏を百万回唱える仏教の行法であったとされています。
鎌倉時代の終わり頃、疫病が流行した際、天皇の命を受けた京都の知恩寺の空圓上人が七日七晩にわたって念仏を唱えたところ疫病が治まり、「百万遍」の号を賜ったとされています。
その後、一般にも広まり極楽往生の願いや無病息災などを願い、行われるようになりました。
一般には、念仏講などで人々が地域の堂庵に集まった際、「南無阿弥陀仏」と唱えながら大きな珠数を順送りに回していくものです。
鉦や木魚などを鳴らし、調子をとり、数を数えながら回していきます。

鉦「南無阿弥陀仏」とある
珠数には大きな珠がつており、自分のところに来た際には、額に当てるなどしたようです。
また、こうした珠数をもち、地域の中を歩いたことも行われたようで、地域の家、一軒一軒を回して歩くことや主要な道々を回ることなど、様々な形で行われていました。
主に夏の疫病が流行する時期に行われたようですが、春先や冬に行われることもあり、地域によって時期・行い方は様々な形であったようです。
「岩槻市史民俗史料編」によれば岩槻区内では、柏崎、裏慈恩寺、大谷、黒谷などで行われていたものは、いずれも珠数をもち地域を歩いたものだったようです。
「さいたま市史民俗編Ⅰ」では、緑区芝原・南部領辻、桜区田島では数珠まわしが行われ、緑区芝原では平成二五年まで定期的に行われていました。
岩槻郷土資料館に展示しているものは、本町五丁目の自治会に残っていたもので、直径二㎝程の珠が一〇七二個あり、中に直径五㎝程の大きな珠が一つあります。

鉦の銘文
これは回数を数えるときの目安にもなったと思われます。
鉦は直径二〇㎝程で、叩く面に「南無阿弥陀佛」と刻まれています。内面の縁には「昭和三〇年六月二十三日新調」「岩槻市本町五丁目講中」とあります。
鉦を叩くための木槌にも同様の墨書があり、同時に新調されたものであることが分かります。
現在はこうした「百万遍」はほとんど行われていませんが、人々の信仰を知る貴重な資料といえます。
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