「岩槻古城八景」は、明治一八年(一八八五)、旧岩槻藩士らによって、明治維新後、廃城となった岩槻城の姿を再現し、描き記したものです。中国の「瀟湘(しょうしょう)八景」をもとにして描かれた「近江八景」に倣い、城内の景勝地の八景を描いています。これまでに、市立博物館所蔵の二組をはじめ、個人の方の所蔵となっているもの三組が知られていました。このほど、新たに一組の「岩槻古城八景」がみつかり、岩槻郷土資料館に寄贈となりました。今回寄贈された「岩槻古城八景」は、二双の屏風仕立てになっていたもので、屏風の大きさはいずれも縦一七〇.二㎝、横八三.七㎝です。二つの屏風は分かれた状況になっています。向かって右側の屏風には「車橋の晴嵐」、「城口晩鐘」、「二本杉道灌箸立杉」、「船入口帰帆」、「樹木曲夜雨」の五枚、向って左側の屏風には「高臺の秋月」、「米蔵の落雁」、「鵜首夕照」、「茶屋臺暮雪」、「岩槻城址圖」の五枚が貼られ、計一〇枚となっています。「車橋の晴嵐」、「城口晩鐘」などの八景に「二本杉道灌箸立杉」と「岩槻城址圖」が加えられたものです。屏風は全体にしみが残り、「茶屋臺暮雪」の右側上部と「樹木廓夜雨」も右下の部分が破損していますが、それぞれの絵は比較的良好な状態といえます。なお、これらに関連し、維新後、廃城になった岩槻城の風景をしのび、詠んだ「岩槻古城八景歌集」があります。これには、糸丸、児笑ら一六人が和歌を詠み、全部で一六〇首がみられます。この和歌集は、明治一八年(一八八五)、平野糸丸がはしがきを書き、翌一九年(一八八六)二月、春陽亭若芝による署名が見られることから明治一九年二月に、歌集は完成したものと考えられています。はしがきには、岩槻古城八景の画は「駑楽」に頼んだとありますが、「岩槻古城八景」の落款は「北淵」と読めます。この「北淵」と「駑楽」との関連については現状ではあきらかではありません。資料館では、今後、機会をみて展示していきたいと考えています。
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