押絵羽子板の制作というのは、いくつかの分業から成り立っている場合が多い。しかし、永光は「下絵を描く仕事」、その下絵から各部品の型を起こし、切り分けた型紙の上に綿をのせ、それを生地でくるんでふくらませ半立体的な作品にし、さらにそれらの部品を組み上げる「押絵師」としての仕事、面相と上絵から小物までを描く「裏絵師」としての仕事、などの全工程を自分一人で、こなすことができた数少ない作家であった。秋谷桜山(喜太郎)と共に、「明治時代の押絵の名人」と称されたそうである。作品は、浅草の羽子板市には出さず、三越本店などに納めていた。そして、御所人形や嵯峨人形も手掛けるようになり、「羽子板屋さんの押絵」や「子供玩具としての人形」から脱却し、より芸術性が高く、個性ある作品づくりを目指した。そんな吉田永光の全容が垣間見える作品展だった。
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