「ら・みやび」のコーナーを担当して2年半が経過しました。最近は面識が無かった方からも「尾舘りゃ祐平どこまでも」という言葉を出すと「あの尾舘さんですか」と気づいていだたく機会も増えてきました。そんななかで今回は、なぜ私がこうして地域の情報紙に関わり、地域の発信をし続けるのかということをお話したいと思います。 私がまちづくりをしたいと志したのは小学2年生の頃です。当時、私の母が体調のすぐれない時期で、当時の母にとっては通りにくい道路がありました。目の前の母をどうにか笑顔にしたいという気持ちから私は「どうしたらお母さんは笑顔になるの」と問いました。母は「こういう道路はお金のことや計画を考えたりして通りやすい道路を作る専門の人がいるんだよ」と答えました。そこで初めて母を笑顔にできる仕事を知り、自分も携わりたいと思いました。その経験を出発点に、母だけでなく地域全体を笑顔にしていきたいと思うようになり、今でもその想いが続いています。大学入学直後にはいったん休学して社会人を経験した上で勉強するのが自分には重要と考えて、まずは自立して仕事をしました。そして、3年間働いた上で復学し、埼玉のことを知るために立ち上げた学生の活動「さいたま市若者会議」をきっかけに、岩槻の街に関わる地域情報紙のコーナーを担当するまでに至りました。今年の4月に大学を卒業し、現在は希望していたまちづくりをする会社に勤めています。学生から社会人となってからは活動の自由度が広がり、多様な方々と関わる機会も増えてきました。ただ、東京に勤めて仕事をしていると地元の岩槻での繋がりが希薄になってしまう寂しさを感じています。そのため、可能な範囲で地域ごとに残っているコミュニティも活かしながら、岩槻の人が地域の中で世代を問わずに新しく地域住民になった方達をも含めてゆるく繋がれるきっかけを作っていきたいと思っています。…来月号に続く。【尾舘祐平】
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