「庚申塔(青面金剛立像)」「百番供養塔」「野仏」「観音菩薩道標」「お地蔵様」などにしるされた慈恩寺についての記述や昔岩槻方面に塩などの物資を運んがとされる荷役の馬の慰霊碑の「馬頭観世音石造」これらの慈恩寺と関係する道標を手掛かりに、またこの沿線の寺社縁起 史跡案内板などを参考にして慈恩寺道を探しました。地図上に訪ねたその道標、遺構 などを並べてみました。小岩から慈恩寺までほぼ一直線の道だった事がわかりました。それではこれら地物をご案内いたします。
慈恩寺道石造道標 (慈恩寺道標) JR総武線小岩駅から区役所通りを東方向に下り、一里塚交差点で千葉街道を京成江戸川駅方向に進み 蔵前橋通りを横断して 旧千葉街道を少し歩いた先の三叉路の左側に道標が建っています。駅から1500m京成江戸川駅からは南方向80mの場所です現在は北小岩3丁目ですが、以前小岩御番所町(まち)と呼ばれた地域です。道標の正面前方には、江戸川を渡る小岩市川の渡しがありました。ところでルート上の道標は出発点として、市川の渡場、市川としるされていますが、小岩市川の渡しの対岸は旧市川驛です。この一塊の場所を同一地点とみなして慈恩寺道標 小岩市川の渡し 市川をこの道の起点としました。小岩御番所まち 世話人忠兵衛 この道標には千住道と岩槻道、慈恩寺道 江戸道 本所道と市川道の6本道筋が記されています。幕府の直轄地としての小岩御番所町そこで働く十手持ちと想われる世話人忠兵衛の記載も気になります。
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