◎岩槻橋と観音菩薩道標 岩槻橋へは、JR金町駅から八潮行きのバスに乗り、葛西神社を経由して¬水元公園」バス停で降りると、そこが岩槻橋の交差点です。 岩槻橋は、水元公園の小合溜(遊水池)の取水口に架けられていた橋です。昭和の初め頃までは純農村地域だった葛飾区、江戸川区の全域に、この橋の下の用水路(小岩用水や東井堀など)を通じて田畑に水が供給されていました。現在は取水口から先の用水路は埋め立てられて広い道路となり、また周囲の田んぼは住宅地となっています。小合溜は、度重なる下流の洪水被害を防ぐために江戸時代、享保一四年(一七二九年)江戸幕府の命を受けて、紀州藩出身の井沢弥惣兵衛為永が古利根川を堰き止めて遊水地を造りました。その後この橋のたもとに岩槻橋の名前の由来となった観音菩薩道標が宝暦六年(一七五六年)に、岩槻慈恩寺への道しるべとして置かれ、橋は観音橋とも呼ばれていました。現在この道標は交差点近くの蓮蔵院に移設されています。
観音菩薩道標都立水元公園は昭和四〇年(一九六五年)に、埼玉県三郷市と東京都葛飾区の都県境の旧川筋の小合溜を中心に造られています。河辺の自然を取り入れて、公園内には小川が流れる広場や睡蓮の池、メタセコイアの森等が造られています。園内ではキャンプや釣りも楽しめます。また桜祭り、菖蒲園祭りで大勢の人で賑わいます。※井沢弥惣兵衛為永は、当代きっての治水家で見沼代用水開削では、利根川から六〇キロメートルに及ぶ用水路を一七二七年に半年足らずで完成させ、見沼の新田開発に貢献しています。またほぼ同時期の一七二九年に、この岩槻橋が架かる小合溜の治水事業も手掛けていたことは驚きです。水元公園内の案内版では、井沢弥惣兵衛の業績が紹介されています。またさいたま市緑区見沼自然公園内には、その偉業を讃えて平成一七年一〇月銅像が建立されています。【榎本淳三郎】
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