2022年4月に岩槻観光ボランティアガイド会が、風魔の話題に関連して関係先(小宮彰さん)から情報提供を受け調査した結果、子孫の雨宮道夫さん(太田)所蔵の『雨宮家歴代法号記録』(雨宮利之助編著、明治20年・1887)が見つかったのでご報告します。同書によると、妙円寺には、元亀元年(1570)に没した風間出羽守の実母「体室妙円大姉」と天正2年(1574)、成人後に没したとみられる同人の孫娘の法号がありました。実母の法号が妙円寺の寺号と同じであることから、『武蔵国郡村誌』などで江戸初期・正保年間(1644-1648)とされていた黒谷・妙円寺の(中興)開基時期は、室町後期の元亀~天正初(1570s前半)まで遡る可能性が出てきました(なお、同寺では明応9年(1500)の板碑が見つかっており、創建はこの頃まで遡る可能性があります)。風間出羽守が同寺を開基したのであれば、本人がこの頃、黒谷に領地を得ていた可能性もあります。目下、同会では裏付け調査を進めています。黒谷・妙円寺からは手掛かりが得られていないが、同寺開山とされる雪庭祖林和尚(『岩槻巷談』にも登場)が3世住職を務めていた蓮田市黒浜・真浄寺では、妙円寺の開山は元亀3年(1572)との見解を示しています。【風魔(風間)忍び研究会・向山健司】
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