藤川公成氏がシベリア抑留の様子を『いろは加留多』として、昭和55年1月に記した、新旧2本を同じ頭文字のカルタを新(カラー)、旧(白黒)の対比した形で連載しています。
紙面掲載への経緯は弊紙654と655号で既に掲載されていますので割愛します。
新版文字起こし「よ」「た」「れ」
【よ】
よろめきO・K耐え忍び
よ- これは森林の図ではない。
間口五間、奥行四間、深さ二間位に掘られた野外W・Cの糞尿塔群である。
穴にわたされた二本の丸太橋だが、習性で同じ場所を使用するため、氷の塔が出現する。
これの除去作業はO・K病弱隊の任務。鉄棒で根元を叩き折り担ぎ上げ所外の捨て場に運ぶ。
私もやったが不潔感はなかった。
氷塔には不消化な大豆粒などが氷花の様に見えた。
こっそりと素手で温めて取りのぞく兵もいたが、誰もとがめない。
【よ】
よい男パタパタ
パタと営内靴
よ- 炊事並のポス平山一郎班長は忘れられない好人物だった。
昭和五十年九月に亡くなっておられ、遂に再会出来なかった。
氏が舎内を歩くとパタパタパタと、営内靴の音が派手に響く。
「人間には出来心がある。
食糧に手を出すな、悪いことはするな、という危険信号だ。集団生活の鉄則だよ」
【た】
タバコ代りのたもと草
た- “働けど働けど楽にならざり……” 啄木の歌が耳になる。
生命を賭けて働いても酬われるものは何もない。
各収容上とも独立採算制で当然いくばくかの報酬が払われた ということだが我々はその恩恵を知らない。
後日収容所長が横領の罪で左遷されたらしい。
タチでそんな話を沢山聞いた。
したがってタバコの配給など有るはずもなく、交換材料を無くしてからは、枯葉、枯草、たもと草を新聞紙に巻いて吸った。
はかない煙だ。
【た】
た- 若干の日本新聞が文化部に持ち込まれたのは、年が明けてであった。
一方的な宣伝紙で幼稚なものであった。
配布する前に周囲の細い白部分を、原稿用紙代りに切らしてもらう。
紙にも飢えていた、兵には新聞ではなく紙ぎれにすぎない。
先ずはタバコの巻き紙となり、共産主義を煙りにまいた。
タバコのけむり
日本新聞
【れ】
零下三十五度で作業中止
れ- 在満召集の私は寒さに慣れていたが、それは明日への希望に満ちた日々であった。
マローズ(極寒)という言葉は知っていたのだが、現実に虜囚として冬将軍の征服下では血の凍る思いをした。
かつて黒河の老爺に聞く「北満の果てで凍死しないものだ」「川の向こうの国はあそこが南の果ての暖かい所だ」と答えが返った。
零下三十度の屋外に一歩出れば、眼、鼻口、吐く息は忽ち小粒のつららの洗礼をうける。
伐採では零下四十七度を体験。
【れ】
冷房完備の凍士
さまよう仏
れ- これほど完全な冷房装置はなかろう。
収容所左方の荒廃した丘の上が、バレイの墓地である。
私も何度か埋葬用の穴掘りに行ったが地表は鋼鉄板のようで、鉄棒をはねかえす。
ろくに穴も掘れず数多くの遺体を雪で埋めて合掌した。
星霜四十年、墓参行は夢の夢、ひたすら冥福を祈るのみ。
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