ホーキング博士のように、物心ついた時にはすでに車椅子の生活であったという、最初から障害を持っている人も居ますが、途中から、病気やケガの後遺症として残る人もいます。中途からの障害については、想像しやすいかと思います。
例えば、ほとんどのヒトが通る道として、老眼になるというものがあるでしょう。
私は視力が良く、学生時代の健康診断ではいつも両目とも2.0でした。
ですから、メガネとは無縁。
ところが齢50を過ぎて急に、手元の細かい文字がぼやけるようになりました。
買い物に行った時に、成分表示が読めない。
かなり不自由です。
老眼鏡をかければ見えるのですが、眼鏡を使う習慣が身についていなかったため、手元に持っていないことが多く、腕をめいいっぱい伸ばして遠ざけても、見えなくて口惜しい思いをしました..。
このように、できていたことができなくなる部分が出てくるのが障害があるという状態です。
でも、同じ障害であっても(例えば手元が見えなくなる老眼ということは同じでも)、その人がどのようにとらえるかによって、不自由さは違ってきます。
私の場合、老眼になりたての頃は、老眼鏡を持つ習慣がなく、かなり不自由でしたが、今は常時あちこちに置いておくことにして、必要時にはすぐ使えるように備えたところ、不自由さは解消されました。
眼鏡自体をつけたくないという思いはありますが、そこは妥協するしかありません。
コンタクトや、手術はもっと嫌だからです。どこかに妥協は必要になります。(つづく)
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