藤川公成氏がシベリア抑留の様子を『いろは加留多』として、昭和55年1月に記した、新旧2本を同じ頭文字のカルタを新(カラー)、旧(白黒)
の対比した形で連載しています。
紙面掲載への経緯は弊紙654と655号で既に掲載されていますので割愛します。
【し】信じられない算数音痴揃いアジーン︑ドヴア︑ツリー︒
一・二・三と数えはじめるが、すぐやり直す員数点呼。
この音痴ぶざまにどれほど泣かされたことか。
四列ダメ、五列もダメ、十列横隊を所望されたことも、しばしば。九・九の声による掛け算がなんとしても納得できず、わめき散らした彼等が不思議人間にみえた。
【し】しんどい通訳あぶら汗
我々は中沢隊長というロ語㋨出来る人がいたので、どんなに助かったことか。本格的な作業開始前に「通訳要員募集」をした。
二十名近い下士官・兵が応募し一週[間の速製教育となる。
作業に役立つだけの単語詰込みが終わり、直ちに現場に放り出された。
現場監督と兵との間に板ばさみとなり、その苦労は見るに忍びないほどだった。
彼らの懸命な努力が私達を守ってくれた功績は、高く評価しなければならない。ご苦労さまでした。
【ゑ】縁あらば背広姿でお逢い申そう
ドイツ兵は「この次の戦争で徹底的にやっつけてやる!」︑堂々と怒鳴り返していると聞く。
もうごめんだ。
この無法な殺人、科学の兵器どもと命の交換はできない。
真の平和﹂を目ざし︑経済︑化学の武器で斗ってやろう。
それまで君たちも生きていてくれ。詫び言も聞かして欲しいからね。では。

【ゑ】得体の知れぬオルグ登場
ゑ-収容所の防波堤であった中沢通訳隊長は、民主運動阻害の反動として収用所から拉致され、司令部の馬小屋に放り込まれ、裁判のためスレチンスクに移された。待ちかまえていたようにHというオルクが派遣されてきた。彼は本部内に個室を求め大隊長に指揮権を発揮した。彼に追従する心弱き者どもが、民主グループを形づくり君臨していった。HのHの正体は何であったろう。彼は後日カクイという所からダラ幹として追放されている。
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