引揚者が直面した生活苦と戦後開拓
敗戦後、海外に取り残された日本人は約660万人に及んだ。
1947年末までに629万人が祖国へ帰還し、中国全土からは177万人、そのうち満洲から葫蘆島を経て引き揚げた人は約105万人であった。
引揚港には18か所の引揚援護局が設けられ、生活費や衣食の支援が行われた。
しかし、それは生活苦の始まりでもあった。
故郷へ帰っても家はなく、親族からお荷物や厄介者扱いされる人も少なくなかった。
居場所を失った人々は都市へ流れた。
東京では「われわれ家のない引き揚げ民に即時永久住宅を与えよと、400余名の引き揚げ民たちはが、麹町、深川区臨海、川南の3国民学校を占拠し、共同生活を始める事件にまで発展した(46/8/21)。
住居がなければ就職もできず、住民登録がなければ配給も受けられない。
「我々は乞食ではない。
なぜ引揚者だけがこれほど不平等なのか」と訴えても、役所に冷たく追い返されることが多かったという。
ある開拓団員は外務省を訪ねて救済を願い出たが、「開拓団は侵略の手先であり、援護する道はない」と開拓民課長から言われたとの証言も残されている。命がけで祖国へ帰った人々を待っていたのは、労いではなく、偏見と冷遇であった。
政府は復員兵や引揚者の生活再建を図るため、「戦後開拓事業」を始めた。
旧軍用地や飛行場跡など全国約6,000か所も開拓地に指定し、再入植を進めた。
しかし、机上の計画が優先され、土地の質や営農条件は十分に考慮されなかった。
開拓地の多くは痩せた荒れ地で、農業には適さず、作物は育たなかった。
10年間で約19万世帯が入植したものの、約5万世帯が開拓を断念して離農した。
なかには南米へ移住する人も現れた。
NHKニュースはこれを「机上プランの悲劇 開拓地の現実」と報じている。
復興計画と、現実との間には、おおきな隔たりがあったのである。
【いわつきともちゃんの会・新井 治】
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