敗戦直後、満州(中国東北部)で開拓団を暴徒からの襲撃から守るため、ソ連兵に「性接待」した事実を、『無かったことにできない』として、安江善子(当時21歳)さんが2013年の集会で初めて発言した。
遠い彼の地で、こんな辛い出来事があったことを死ぬ前に語り伝えたいとの思いからだった。
敗戦直前の8月9日、ソ連軍が侵攻。
日本軍に置き去りにされた開拓団は、自分たちで身を守らなければならなかった。
開拓団といっても、根こそぎ動員されたので残っているのは、女・子供・年寄りだけだ。
逃避行のさなかの9月23日、現地暴徒が大挙してやってきた。
時計とか着るもの何でもいいから取ってやろうとやってきた。
「うちらの開拓団も薬飲んでみんなで自滅しましょう」との発言も出たが、佐藤長太郎氏(ハルエさんの父親)が「隣の団は集団自決したが、簡単にそんな死に方をするんじゃない。
どうにかしてここを切り抜けて日本へ帰らなきゃならん。」と自決を思いとどまらせた。
「やはりここはソ連に頼むより外に道はない」ということになり、ソ連軍に保護を依頼した。
すると代償として女性の提供を要求された。
団幹部の相談の結果、17~21歳の未婚女性たち15人に「夫が兵隊に行かれた奥さんには頼めん。
あんたら娘が犠牲になってくれ」と、ソ連兵の相手をするよう依頼した。
佐藤ハルエさん(当時20歳)は、「なんでもいいから生きておらなきゃ何もできんから、どんな苦しい思いをしても悲しい思いをしても生きなきゃ」との思いから我慢したという。
娘達15人は、数カ月にわたって『性接待』をさせられた。
性病やチフスで4人が死んだ。
善子さんは、「私どもは悲しかったけども開拓団の命を救うために娘たちは泣きながらソ連兵の将校の相手をしなければいけなかった。
そんな目にあって帰ってきたハンデは、ボロボロにになって心の中に寝ても覚めても忘れられない。
時々夢にうなされ飛び起きるほどつらい思いをしているのに、「汚れた満州帰りの娘」と差別され本当につらかった。」と言っている。
「満蒙開拓団の女たち(ETV)より」
黒川開拓団(吉林省陶頼昭 129世帯650人)(長野県黒川村「現白川町」)のうち450人が帰国できた。
博多港では中絶が行われた。尚、48団体が集団自決した。
映画『黒川の女たち』は、2025年7月12日(土)より全国順次公開される。
【岩槻ホタルの会 新井治】
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